ぐらんこ。の部屋(るーるるー♪)

執筆活動とたこ虹家族&鯛員&モノノフ活動とその他もろもろ

夏Sは誰のものか?

 

ツイッター引用が上手く行かない

https://twitter.com/SZTKMCZ/status/988921530259202048

 

お姉さんグループのファンにとっては大して興味のない妹分を見せられる結果お目当ての時間かなり短いくせに高いし 妹分グループのファンはお姉さんとこは通ってきてるから興味ないことはないけどいつも近くで見ているグループをくっそ遠くで見せられた上にチケットも何倍もの値段 誰得案件

 

いろんな意見があるでしょうけれど、

お姉さんグループのファンのメリットが少ないと思うことには同意。

ただし、お姉さんグループのファンは、もっと楽しいことがいっぱいある世界で、自分が決めたところしか見ない、見たとして否定的、そもそも楽しもうと思わない、というタイプの人が一定数居ると勝手に思ってる上での意見。

 

愚痴になっちゃいますが、誰のどんなライブだって楽しもうと思って参加したらよほどのことが無い限り楽しいんですよね。

ただ、

・コールとか振りとかの約束事を理解していないと参加しにくい

・お金やら時間がギリギリなので他のグループを応援する余力が無い

・一推しグループを心酔するがあまり、他グループで盛り上がると申し訳なく思ってしまう

 

等々の事情により、俺はももクロしか! 俺はエビ中だけ! ていうオタクが相当数いると。(見もせずに、見たとしても否定的に見た上で、ももクロは他とは違うとか断言しがちなタイプ)

 

わたしも今は(主に)金銭的な理由から、推しグループを増やすのはよっぽどの時だけ、接触などでお金を使うのも、グループ内の推しだけ、って状況になってるので人のことは言えませんが。

でも、好き嫌い(厳密に嫌いってのはほぼないので、めっちゃ合うかそんなに合わないか)が判別できていないグループのライブとかは、基本楽しもうと思ってみるようにしてます。ってか、勿体ないし。

 

妹分グループのファンについては、

・大舞台の姿を応援したい

 これもこじれてくると、別にいいやーってなるとは思うんですが、どちらかというとアウェイの現場ですから、少しでも応援増やしてあげたくなるでしょう

・他のグループと共演する姿

 件のツイートからはすっぽり抜け落ちてますが、グループを超えてのユニットなどに参加させて貰う(これも上からしたら大したことないかもですが、下からしたらどえらいこと)メリット、その姿を見たい

 

と、いいこと多いのですよ。未来の予行演習です。

 

>いつも近くで見ているグループをくっそ遠く

これねえ、まあそういうタイプのオタク多いからなんともですが、じゃあ推しのグループが売れて、遠くでしか見れなくなったら応援しないの? という疑問。

わたしはYesでありNoです。

近くで見れる推しグループが居なければ多少遠くても(大会場でも)見に行くし、近い距離で見れて、接触もあるグループの推しが居るんだったらそっち優先しちゃうかもっていう……。

接触厨ではないんですけどね!

書き捨て

酔った勢いでの雑文なので、スルー推奨。

 

 

 

q.hatena.ne.jp

 

>愛情が無ければ、どんな人生を送ろうが、過ごそうが、どこで野垂れ死にしようが構わないものだと思います。

この言葉は私の頭の外にあったので、こんな考えもあるもんだなと衝撃を受けました。

優しい人なんだろうなと。知ってる人=愛情が少しでもあるになってると思うので、見ず知らずの人間に優しいか? となると話は変わってくるのでしょうけれど、それもないだろうし。

 

 

ただし、父の場合は子供の前では暴君のように振る舞い、看護師や親戚がいるときはあからさまに優しくなっていたし、子供を育てる金が惜しいと常に言っていたから当てはまらないと思います。

 基本的に、他人のことがわかる、理解できると考えることが誤りだと気づかない人って多いですよね、自分も含めてですが。

好意については理解できたと思ってるほうが幸せだったり、よほどのことがないと裏切られないから、メリット>デメリットなんですけど、悪意、嫌悪感については、他人が自分をどう悪く思ってるか、考え出すとどんどん沼に嵌っていく気がします。まわりの人間見てても。

 

自分の意思で子供を作りながら、育てることは当たり前と思わず、看病してもらうのは当たり前に思っていたと断言できます。3年も看病すればわかります。

 前述したとおり、他者の気持ちがわかるという妄想をとりはらわなければ人は幸せに生きられません。そもそも、人間の感情なんて白か黒の二択ではないのです。

”育てることは当たり前”、1%の当たり前と99%の当たり前ではない鬱陶しさ、

”看病してもらうのは当たり前”、99%の当たり前と1%の感謝が同居してた可能性のほうが高いでしょう。99%に目を向けてしまうと何も生まれない。

また、”自分の意思で子供を作りながら”という表現で、生まれてきたことへの感謝ができていないことがなんとなく伝わってしまう。私自身もそうだったからわかるのですが、この状況に陥りがち。自分が不幸であると考えてしまえばしまうほど。一般的なレベルの生活ができても脱却できないでしょう。

ある程度の幸せを感じられる環境で暮らしていると、どんな毒親に対してでも、(”お前の子育てのやり方、子供に対する態度や言動はともかくとして”)、まあ生まれてきて良かったし、生んでくれてありがとな(←謎の上から目線)という感情が多少なりとも生まれます。(ただし、親が死んでからのことが多い。それは、存命中は親の存在のせいで幸せになりにくという点もあるので、親が生きているうちに親に感謝できないのは一概に子供のせいだけではないと思っています。子の幸せを願うのが親のはずなのに、あいつは子供に対して負の側面しかない、という悲しい親子関係ですね。死がある程度清算してくれる、ってか死にしか頼れないって)

 

 

また、精神病患者になったからといって回復するとか、施設で働くなどで、社会貢献している人は大勢います。

 これについては、わたしは言及したつもりはなく(というか読み飛ばしてしまっていた、反省)、精神病患者は早死にしろ! という意見は持ち合わせておりません。

生きればいいし、自由に過ごせばいいと思う。

ただ、親目線からすると、こいつ幸せに老後を暮らせないなら、早死にしたらいいんじゃないか? と思うこと自体は悪ではないと思います。

子の幸せを願うのが親の務めであれば、親に幸せな自分を見せるのも子の務めだと思うのです。

 

子供の寿命を親が決めたら、回復の可能性を見捨てることになり、許されるものではないと私は思います。

 先述のと微妙に絡んできますが、寿命を決めてしまうことに対しては(それはできないことでもあり)反対というか同意していません。

ただ、生きるか死ぬかの状況になった時とかに、延命するかしないかの決断時にはいろんな要素が絡んでくるんだろうなーと。

例えば現在が酷く食糧難で、生きていたところで何の娯楽もない世界であれば、子供が風を拗らせた時など、このまま楽にしてやろうか、と考える親は居て当然だと思います。(もちろん生に拘るという選択を非難するつもりもありません)

現在は(かつての)寿命以降も生きていける世の中になってしまっているために、考えることが増えて面倒になったのかもしれませんね。

 

以上

【電子書籍文学賞】あるいは【電子書籍大賞】素案

【資金】

ここが一番の問題。

なので、参加者実費負担になると思う。

エントリー代として、応募者から5000円ずつとか募る方式か、クラウドファンディングで賄うか(クラファンでも結局応募者が大部分負担するのでしょうけれど)

 

電子書籍という形態なので、クラファンやったとしてもリターンが考え物。

結果や総評、受賞者コメントなんかを無料版、豪華版作って豪華版の進呈とかありかと思うけれど、豪華版作るにしても、無料、あるいは廉価で配信したいですよねー。

 

どこかのお金持ち、(そこそこ以上に儲けてる)著名作家さん、酔狂なスポンサーさんが現れないことか。

 

【審査員】

ここも難題。

理想は全審査員が全作品を読むこと。無理ぢゃん。

じゃあ、下読みさんがある程度絞って……とか人手がかかるなあ。

ジャンルもバラバラだし、既存ジャンルに収まってない作品も沢山だし。

ジャンルは自己申告制である程度のジャンルに絞って、ジャンルごとに賞を決める&ジャンルまたいでの大賞を決めるみたいなのがやりたい。

労力半端ない。

 

【応募資格】

ひとり一作品。

電子書籍オンリー作品(同人誌での紙媒体での販売はセーフぐらいの救済措置はあってもいいかも)

 

どちらにしろ、お金と時間(人手)が凄くかかるから、個人とか小規模のグループではやりにくいなあ。

amazon楽天KADOKAWAさんがやってくれたらいいんだけれど。

ブックウォーカーではインディーズ部門で多分売り上げでランキング作ってくれてるんだけれど。)

 

どこぞの出版社が意識改革して電書に力入れる方面で頑張ってくれることが一番っぽい。

応募はepub送るだけだったら楽だし。

 

自分でやるとしたら、1000~5000ぐらいのエントリー料とって、それを賞金&審査員さん(薄給、ほぼボランティア、手弁当)に割り振って、結局自分では何もしないでよい状況を構築したい。

いや、集計とかいろいろ面倒だろうけれど、それくらいは頑張る。

 

そもそも電子書籍にしてなくて無料で公開している作品とかが電子書籍になる機会だったり、話題にはなりそうだから、ほんとに実現されたら素敵なんだけれど。

【謎解き・説明解読クイズ・ニッポン人がよく読むもの】の回答

 F吉はクッキーをつまみ上げながら言った。「あー、簡単だね」
D菜&J尼「「あっ!」」
 F吉は躊躇なくクッキーを口に放り込む。
F吉「モグモグ。日本人が読むのが得意なのは……ズバリ数でしょう! モグモグ。お風呂で100まで数えさせられるからね。そもそもあまり面白くない作業だから、いーちにーいさんまのしっぽごりらのむすこなっぱはっぱ……みたいな遊びも生まれたし、数を読めないと不利益どころじゃないよね」
D菜「……、昔ノ人ヨリってのは?」
F吉「メガとかギガとかテラとかペタとか単位が増えたじゃないか。若い人のほうが沢山の数を表現できるんだよ」
D菜「ある意味、いつもどおりまずはボケから入る。読んだわけではないんだろうけれど、模範解答ね」
F吉「?」
J尼「D菜さん、わかってますカ?」
D菜「ある意味、F吉に近いんだけれど、サバ? じゃないかしら?」
J尼「……読んだ上での発言ですね。もうひとつぐらいボケとこうかと」
D菜「だって、正解はB美の役目でしょ。そうそう、外国人から見ると日本人は若く見えるらしいから、逆サバを読むのが上手っていうことも言えると思う」
K憎「答えは『門前の小僧習わぬ』じゃないかな? アルファベットを覚えるのに、習った意識もない、ABCの海岸で~♪ カニに〇〇挟まれた~♪ みたいな感じに自然に覚えるのが得意なのが日本人の特性なんだ! ギリギリジャパンガイドにも、赤チンは怪我を癒すものだけれど、黒チンは毛生えぐすりではないって記述があったと記憶しているでござる」
 F吉が最後のクッキーを食べてしまったので、B美は時を巻き戻した。
 B美がお皿に手を伸ばそうとする。
 同時にK憎も。
 二人の手と手がふれあい、B美はポッと顔を赤らめた。
F吉「なに? クッキー食べないの? 遠慮の塊なら僕がいただくよ」
J尼「ほんとにF吉は読むのが下手でーす!」
B美「答えは空気ね。諸外国から日本人は空気をよみがちと評されているし、KYなんて言葉が誕生してから一層圧力がかかるようになったわ。生きていく上で役に立つし、必要なことだけれど、あまり気にし過ぎても辛い」
J尼「そうですね。F吉にもうちょっとデリカシーがあれば、演技とはいえB美とK憎が良い雰囲気になってる時にBGMにラブソングをかけるぐらいの気遣いが必要ですヨ」

自分で切り開けないなら乗っかるのがよい のか?

ブログを書いてもアクセスが増えない

 →アクセス数のあるブログで記事を書く(書かせてもらう

 

自サイトの小説が全然読まれない

 →小説家になろうとかエブリスタとかに投稿する

 

 みたいな。

 

上の2例って、消費、評価に時間がかかるからそうなんですよね、未だに。

 

ショート動画とか、4コマ漫画とかネタ系の短文とかってツイッターでバズらせるほうが手っ取りばやい

だけれど、ライバルが多い、フォロワー数少ないとそもそも見られない

 

なので結局地道にコツコツ面白コンテンツを上げ続けて、フォロワーさん増やしてここぞという時に拡散してもらうみたいなルートがいまのところ王道なのかも。

 

そーゆー意味で、小説って結局、セルフプロデュースで出来ることは限られていて、小説投稿サイト的なのってしばらくなくならなそう。読み手にとってもメリット大きいし。

 

SNSで小説をバズらせる画期的な方法が発案されたら時代は変わると思うけれど。

 

 

【謎解き・説明解読クイズ・ニッポンの軽くて重いプレゼント】回答1

F吉「ガンプラだおー!!」(笑)右
D菜「なんでよ!?」(怒)右
F吉は説明した。
F吉「以下F吉の説明」(普)大
MG(マスターグレード)なら、だいたい1000円ぐらいなんだ。慣れてる人なら1時間ぐらいで作れるから、時給換算して3000円ぐらいから完成品が売ってると思うよ。それに、作りすぎて置き場がない人とかが安く売ることもあるから、凄く手間のかかった塗装済みのガンプラを安く買えることもあると思うよ。ガンプラに限らず、プラモデルは作ることに意味があると考える人からしたら、余計なお世話なんだろうけどね。
J尼「チガイマース。伝統デモナンデモ無イデース」(怒)左
D菜「B美、わかる?」(困)右
B美は答えた。
B美「折鶴ね」(微)右
B美「折鶴のキットは折り紙でしょう? 1000枚で1000円ぐらい」(普)右
B美「完成品ももちろん売ってるわ。でも気持ちを込めて折ることに意味があるから、完成品に意味はない」(普)右
B美「軽いけど、気持ちは籠ってるわよね。でも、最近では沢山送られても保管場所に困るとか、もっと必要なものを贈ってくれという声も上がってるらしいわね」(普)右
J尼「折鶴折ルナラ金ヲクレ! デスネ」(悲)左
B美「怪我とか病期、不幸になった時に貰うものだから、そもそも貰いたくないのも道理ね」(微)右
J尼「健康トカ気ヲツカイマース」(普)左 

 

 

 多分見れる画像。

個別「答え」の写真、画像 - クイズ回答用180309 - grankoyan2's fotolife

 

クランベリーのクランって鶴っていう意味なんですね。

以下、ウィキペディアから

 (crane) のベリー (berry) の意味。アメリカの初期のヨーロッパ系移民が花が開く前の花弁が鶴の首、頭、くちばしに似ていることから名付けたとされる。クランベリーが鶴の好物であるということに由来するとする説もある。

クランベリー - Wikipedia

 

 

再帰とクイックソートに関する愚痴

なぜ?

という点に置いては、例に上がった簡単な奴、
・階乗
フィボナッチ数列
が逆に何故、わかりやすいのか? ということを考えると、
『終了条件』にスポットが当たると思います。私的には。
階乗は、1で終れますし、フィボナッチ数列(n番目の数を出力)だと、0、1の組み合わせになったら終わりというのがわかりやすいです。

クイックソートは、どこで終わるの? というのが見えなくて、パニックになりそうです。
というか、実際に大分にプログラムからブランクがあってちょっとお酒飲んで頭が回らない状態で、ウィキペディアクイックソートの項目を読むと理解に苦しみました。

クイックソート再帰がややこしいのは、配列があって、ピボットがあって、分割があってと、扱うデータが沢山あるのも理由かもと思いました。

わかりやすい≒直線的な何かを再帰するパターン、わかりにくい≒階層が深まると二次元的な広がりを見せる のようなイメージですかね。

再帰の戻って来るタイミングがわかりづらい
・扱うデータ(の概念というか条件?)が多い
・分割など一直線ではない処理
などで、再帰が理解困難になってると思います。

ここからは蛇足なんですが、素人に近い学生なようなこにプログラミングを教える時、ポインタやら再帰やら(もっと言えばループ処理やら)で躓くのは、そのこにとって、ビジョンが浮かんでいないからなんだろーなと思うことが多々ありました。
条件分岐などは、分岐の数がわかって、条件がわかるから理解できるのですが、アドレスを持ちこむと、迷子になるのです。そういう時は図にしたら理解できたりもしますよね。

再帰って一直線に(なんていうかわかりませんが)潜って行く時には、グラフィカルに感じ取れるんですが、クイックソートみたいに分岐が発生しだすと、想像しづらい、追いきれない、追いつかないからギブアップという流れになってそうです。特にクイックソートは分岐条件がわかりづらい。

っていうかそもそもクイックソートが難しいんですよー。
バブルソート再帰するとかしたら、一回目のソートで最高の数字が右端に行くので次の再帰呼び出しは、要素数を一つ減らして右端は無視して……と結局一直線での理解になると思います。(簡単だからこそ多重ループで片が付くのでしょうけれど)

バブルソートや選択ソートで再帰を組むとしたら、わかりやすくなる理由は、直感的に理解しやすい『次の再帰では要素数が減っている』からなんだろうなと思います。

結局、前と後の再帰条件の違いがわかりにくく、分岐するのがわかりにくい原因なのだろうと。

【人類の思考法とは本質的に相性が悪い】
扱うデータが増えると理解しづらいですし、一直線ではない処理は追いにくいです。

ここからはさらに脱線するんですが、
・データ量増
・分岐の数
で考えると、人類の思考云々に関わらず、予測や対策が難しくなります。

高校生の大学入試だけで言えば、過去問、学習範囲という限られた中で予測、対策が取れますが、特定の職業に就きたい、とある企業に就職したいとかになると、考えることが増えますから。

多分、再帰自体に罪は無いんです。
再帰で躓く人は、他でも躓きますから。

イメージ力というか想像力の個人の限界を超えてしまうことに問題があるんだと思います。

わたしは、むかし趣味でプログラミングしてた時に、再帰プログラムの美しさに惹かれて、意味があったかなかったかはわかりませんが、むやみに再帰処理を組んでた時期がありました。
でも、今思うと、分岐については導入してなかったなぁと。

分岐しだすとややこしくなり過ぎるっていう自分の能力の限界と、読む人がいればすごくわかりづらくなるんだろうなーっていう後悔があります。

 

駄文