おはこんばんちわ もとい! まいど! おおきに! ぐらんこ。です。
KDPとBWで本を売り比べた話以降、なんだか創作畑、文筆畑の人のアクセスが増えて、アイドルばっかじゃいかんなあと、ちょくちょく真面目な話を不真面目に綴っていこうかなと思ったりしているところでございます。
はい!
で、今回は夢ってなんぞ? 才能の枯渇ってなんぞ!? というお話。
先日(といっても先月か先々月)にプロのカメラマンさん(といいながらアシスタントで生計立ててる方)とお話してて、わたしが性癖やら趣味やらを創作に活かしてる? みたいな話をしたところ。
「自分を切り売りするのは止めておいたほうがいい。そのうち枯渇するし、そういう人を沢山みてきた」
と、まあ原文ママではないですが、そんなニュアンスを言われたわけで。
その時は、作曲も作詞もしない元ミュージシャンの人とかもその場に居て、それは違う! って猛反発してメラマンさんをしゅんってさせつつ話が変わってその話は流れたわけですが。
確かにね。
才能が枯れるというのはありえない話ではない。それはわかる。
一番反発したのは、切り売りする=放出だとしたら、補給しないというところ。
いやね。
料理人なんかでも二通り居ると思うのです。
1.日本料理の古き良き技法を護り続ける人
→こういう人は、ある一定の水準まで行くと(40代? 50代?)、もう補給するものがない(=日本料理を勉強しつくしてしまう)ので、その先は既に身に着けたもので生きていくしかない。あるいみ枯渇と隣り合わせですな。
でも、それまでに得た知識が十分であれば、一生やってけるし、60歳超えてもやっぱり自分はまだまだで修行が足らんですわっていう人もいる。
決して惰性でやってる人ばかりではないはずです。
2.いろんな料理を研究して組み合わせたり、新たな技法を生み出す人
→こういう人は飽きない限り、一生楽しく生きていけそうですな。
で、話がずれました。いい例えだと思ったんですけど、クリエーター的なものとリンクしなかった。もといです。
確かに。
だいたいのおっさんって30代も後半になると自分って固まっちゃうのね。
小説なんか読んでも、好きな作家が決まってるから他のをあんまり読まないとか。
そもそも、日々新しいジャンルや組み合わせが生れる”若い”コンテンツに触れていかないとか。
要は、30年なり40年なりかけて、自分の中に蓄えた貯金が固まっていって、それはほとんど増えていかない。100とか80とかの貯金額。
となれば、クリエーターやってるってことは、その決まった100なり80なりを切り崩していかなければならない。
そうなると、いずれワンパターンになるし、そこに飽きがくるかもしれないし、まわりから飽きられるかもしれない。チーン、終了となる。
で、なんとなくメラマンの言うことはわからないではないですが、私と元ジシャンは、いい年になってからアイドルにはまり、その音楽性(楽曲や歌詞や世界観)とかで新しい文化を受け入れながら今を生きているので、メラマンさんと歳は似たようなもんなんですが、全然貯金が減ってく感覚がないんですわ。
ガンダムだって1stしか認めないって人と、宇宙世紀ものまでは……って人と、SEEDもOOもAGEだって、なんだったらG(レコンギスタじゃないほう)も大丈夫だよ! って人。
前者と後者。どっちがクリエーターに向いているかというと絶対的に後者だと思う。
で、タイトルにある夢に絡めていくと。
そもそもなんで、音楽にしろ、物書きにしろメラマンにしろアート的なのやってるの? ってなると、そこで夢というか目標が絡んでくる。
わたしは、昔はガンダムに心酔(しかけて)して、ガンダムを作りたいって思って自分じゃ絵は書けないしデザインもできないし、かといってブラックなアニメ業界に入りたいから、角川スニーカー大賞に応募してガンダムのノベライズを受けるぐらいの作家になろうと思って創作始めました。
これは方々で言ってることで、その筋では有名話なのですが。
思い立ったのはたった数年前(3~4年)ぐらい前なのですが。
もう既に目標は変わってます。
ガンダムにも携わりたいですが、そのためにガンダムっぽい作品書いてても決してガンダムは超えられないし、ガンダムも進化していってるし。
まあ、いつかガンダムに辿り着いたらいいかな。それより推してるアイドルさんと絡める仕事ができるようになりたいなあ。いつかは芥川賞とりたいなあ。
自分の作品が映画化なりアニメ化されて好きなアイドルに主題歌歌って貰ったり主演やってもらったり、いつも元気を貰ってるアイドルさんに恩返しができたらいいなあ。
やっぱりそのためには、今目の前に居る読者さん(数人かもしれませんが)を喜ばせていくことが大事だよなあ。
目指せ! ハリウッド! 宇宙に届け! わたしのお話!
いろいろ混じってます。
夢は大きく。が今のわたしのmottoですが、そうじゃない自分もいる。
沢山の読者さんに楽しんでもらいたい。
いや、自分が書きたい話を書いてそれに着いて来てくれる価値観を共にする読者さんを大喜びさせたい。
相反する二つの事象に板挟まれ、それでも全然苦にならない(若干の誇張と理想論が含まれております)。
そりゃあ、the職人! みたいに決められた枠の中で勝負しつつ、一期一会のお客さんに日々全力で同じものを作り続けるという人も素晴らしいです。
そういう人も必要だし、居ないと困る。
あと、そういう人って決して満足しないんですよね。
いつも80点。100点の物づくりを目指して到達できぬまま死んでいく。上には上があることをちゃんとわかってる。すごくかっこいい。
でも自分はそういうタイプじゃないなあ。飽きっぽいというか影響されやすいというか。
次代の流れに流されながら、自分のスタイルを探しながら、その自分のスタイルですら時とともに変化していく。
なんかね。
枯渇ガーとか言ってる人って、新しいものを取り込む勇気もなくって、かといってひとつのものを突き詰める努力も放棄して。
自分の努力不足(※)を人のせいにしてなんかいろいろ諦めちゃった人に映ってしまうのでした。(言い過ぎましたごめんなさい)
※努力とは頑張ることだけではなく、いろんな新しい世界に触れる遊びの部分も含む。
60歳ぐらいになってもう自分の中にだけあるものでやっていこうって思うのはいいと思うの。(寄生獣のミギーみたいに)
老いさき短いし、ちゃんと60年生きてきたら、それぐらいならできないことはない。
魚と包丁だけで、最高の刺身を作るために技術をみがいて、ああ100点の刺身は作れなかったなぁっていう人生も素晴らしいと思うの。
でもそういう生き方って出来る人ってなかなかいないんじゃないかな。
どこかで挫折というか、惰性で生きていくことになる。
10代、20代がどんどんいろいろ吸収して自分を膨らませていけるように。
40になっても50になっても、同じことができるならわたしはそうして鯛。
日々変わっちゃうんだろうけど、その時その時の目標をしっかり持って。
いっぱい遊んでいろいろ吸収して。
ちゃんと目の前のお客さんのことも気にしつつ。
無理のない程度に計画的に。
ちょいちょいこういうひっちゃかめっちゃかなブログでも残しながら。
いつものことながら、発散してまとまりのないエントリーになったので、昔作ったオリジナル曲の歌詞を引用して終わりにしたいと思います。
おでんは美味いし、刺身も美味い
刺身のおでんが食べたいな
マグロ刺身をおでんに入れたら
刺身じゃなくなる
何故(なぜ)
では! また! ぐらんこ。でした!