ぐらんこ。の部屋(るーるるー♪)

執筆活動とたこ虹家族&鯛員&モノノフ活動とその他もろもろ

メタバースとNFTと仮想通貨の……

 筆者は、とび森、あつ森、マイクラ、あとなんかブラウザでできるMMOっぽいのちょっとをやったぐらい、VRMMOジャンルのなろう小説とかちょっと読んだ。

 仮想通貨は(現時点での円換算で)数十万円所持、NFTは時価数百円のを一個所持、openseaで一個売れたことある、ぐらいの、一般人よりかはわずかにそっちに関わってる人間です。

 

 

 

 私自身、一番興味あるのは仮想通貨で、というか投資的なところが発端で、NFT出てきたな、PlayToEarn出てきたな、どうやったら楽に稼げるんだ? 的なところがほぼほぼの出発点だったので、メタバースに関しては、NFTの売り場として最適解として認識しておりました。(ゲームで稼ぐとNFTとどっちの概念を先に知ったかは覚えてない。アクシーのってNFTじゃなかったかも……なので) 

 なんとなくざっくりでしかそれぞれの概念理解してなかったんですが、さすがにここまで盛り上がってくると、金の匂いに敏感な層が食いついてきてるようで。

 

 仮想通貨でも日本円対応のステーブルコインとか牛耳れて手数料的なのをせしめられたら大儲けでしょうし、既に存在してるけど、今のところ日本ではそんなに必要でもなくて、でも法整備が進んで……。みたいな。

 どっかが突き抜けたら(でなくても、今の日本のスマホとかスマホ決済みたいに2~4社でどんどん鎬を削ったら)、世の中変わりそうな気配がしないでもなかったりそうでもなかったり。

 

 

 

 仮想通貨もNFTも将来的には実生活に関わるものなのかもしれないけど、現状は結局投資(投機)対象でしかないんですよね。

 金儲けとか資産形成のツールでしかないというかそれに成り下がってる。(といったら言い過ぎかもしれんが、現実に使われてる額でいうとそっちが多いと思う。アニメのセル画買うみたいに、みんなで共有したいシーンだけど、それの原画はわしもってんねん、みたいな単純な所有欲とかオタク心理での購買額なんて知れてると思ってる)

 

 

 

で、最近ツイッターがやたらとオススメして見せつけてくる知らん人の呟き見て、セットで語られることが多くて、射幸心煽りまくりのデジタル三巨頭の仮想通貨、NFT、メタバースが実は、めちゃくちゃ親和性高いんだろうけど、メタバースだけ浮いてるというか、一緒くたにするとあかんなぁって気付いて。

 そりゃ売り買い発生するから仮想通貨ともシナジーあって、所有権も発生するからNFTとも親和性高くて……なんだけど。

 

 多分メタバースって、損得抜きで楽しんでる勢が沢山おられるんだと思う。

 そこに、儲け一辺倒の仮想通貨とNFTがゴリゴリ攻めてきたらそれはそれで不快なんだろうなと。

 

 もちろん、開発費やらランニングコストとかで、メタバースの開発とか仮想世界維持にはお金がかかるけれども。そのお金をてっとりばやく……ってなったら、流行りつつあるNFTとか仮想通貨で……ってなるんだろうけど。

 

 それって仮想通貨&NFT側からしたら当然の流れなんだろうけども、仮想世界側からしたら、他にも選択肢が無限にある望んでない介入なんだろうなと。

 

 VRMMOでも色んなものが売られてて、それこそ高いものだと土地を買うとか。

 でもそれってゲーム内通貨で買えなくする必要があるのだろうか? と。

 ゲーム内でコツコツモンスター倒して得たゲーム内通貨で買えるでいいじゃん。と。

 最近は重課金勢と無課金勢で格差が生じるゲームが多いっぽいけど。

 そのモデルって長続きするのだろうかなー? と。

 疑問に思ったでござるよ。

 

 確かに、ゲーム的世界の運営ってお金がかかるからどっかに課金要素必要だけど。

 今の流れって、「仮想通貨すごいー」「課金はつよいー」へと流れまくってる気がして。

 非課金勢を取り込めない方向にガンガン進んで行きそうで勝手に懸念しておりまする。

 

 ええ歳したおっさんおばはんなら経験してきたでしょうけど、インターネットの始まりとか(微課金)、SNSの発展とか(無課金)、そういう社会全体を巻き込める感じでメタバースってやってかないと、実際にある成長の可能性を無駄にして、数年か数十年とかのスパンで普及が遅れるとかありそうなんじゃないかなーなどと。

 

おわり。

 

受賞作が消えてしまった

 電子書籍として色んなとこで販売されてたが、いつの間にかなかったことになってる。

 発行から5年ぐらい経って以降にたまたま気付いた。

 

 多分、著作権というか出版権みたいなのの契約が切れたんだと思うのだけど、契約書探してみたらなんか書いてるかな。

 

 電子書籍だから未来永劫ぐらいの勢いで残るかと思ってたけど意外。

 なんとなく、5年毎に契約更新します、みたいな話を聞いた気もするが定かではない。

 全然売れなかったし、更改する必要性も感じなかったんだろうな。

 

 契約切れてたら、再度小説投稿サイトに投稿しなおしたり、インディーズ本として出版できるのかしら。

うにてぃ入れてみる

12:08

①おかえりなさい! って迎えられつつ、なんかHubってやつからインストールする

ダウンロードしてexe叩くだけ

 

12:10

②hubさんが起動するので、インストールしようとするが、ライセンスやらログインやらでつまる

③新規IDを作る

メアド、パスワード、ユーザー名、名前? の4項目。パスワードが赤い。文字数やら文字種やらちゃんと守ろう。認証メールが届くので、アクティベートして新規ID取得完了

 

12:23

④ログインしたあと、ライセンスがどうこう言われる。これって有償だっけ? 

調べたら無料でも使えた。個人で趣味なので、パーソナルでライセンス獲得。

 

12:26

⑤なんか適当にチェック入れてインストールしたらインストールが始まった。

結構時間かかりそう

自分の落差にへこむのか、他人と比べてへこむのか

まあどっちも、ではあると思うんですけど。

調子いい! から、ちょっと調子悪い! ってなった時のショックが大きいのか、ちょっと調子悪いがずっと続いてる方がダメージ大きいのか。

 

自分の中だけでもどっちがましか酷いかわからないし、そこに他人の要素が絡んでくる。

恵まれてるなーと思うのがどのレベルなのか、これが普通だながどこなのか、自分よりマシがどこで、これは辛いよなーがどこなのか。

 

複雑怪奇

ついったーむずかしすぎるな

anond.hatelabo.jp

 

10年ほど前に、文芸垢作って、そこからアイドル垢になって、現状に至る。

はてな人力検索)で出会った(オフってはない)人とかもフォローしてたりするけど、基本、我々の年代ってオタクぐらいしかツイッターやってないので、リアルで対面したことあるFFさんは、地元の飲み屋とかで出会ったオタクor現場で出会ったオタク(先にツイッターフォローしてから出会ったという逆もまた多い)

 

 

 

我は実生活でもフカンして判断したり、なんやかんやすることになれておるから、ツイッターは色んな意見を聞くツールとしても活用しておる。

まあ、昨今政治的な話とかフェミだのなんだの、”別に見なくてもいいような話題”も多いが。また、敵陣営から送り込まれたスパイが、そっちの陣営を騙って明らかに粗のある主張で反感かって切り崩しているとしか思えないような馬鹿ツイートも多いが。

 

それもフカンして眺め続けてたら、あーほんとおのばかっているんだーって思えたり。実はまだ疑っているが。

 

そんなこんなで、明らかに頭おかしい、日本語通じない(1ラリーも続けられない人も大概日本語通じないが、ここではさらにその上の、まずサーブが打ててないから返球しようもない人を指しておる)人以外はよっぽどのことない限りフォローは外さないし、逆に、近い距離におる人でちょっと怪しい傾向が見えてきたら精神衛生上よくないのでざっくりきったりもする。

 

トレンドとかでも、ざっくり記事とか意見読んで、自分の意見はこうだけど、リプではこういう見方で捉えてる人が多いのか―など、自分の今現在の立ち位置を踏まえた上で、幅広く他者の意見を見聞するのに利用価値しかない。

 

そういう経験が、リアルで、飲み屋とかでそっち系の人に絡まれた時とかの対処法に繋がるし。話になる人とならん人の区別が完全についてるわけではないけど、君子危うきになんとやらで。

 

ちゅーわけで、ツイッター辞めるなとはいえんが、俯瞰しませう。って。

みんな勘違いしてる、バリアフリーとか

 あたしはダイバーシティ教の教徒ですから、「わいは頑張らねえ!」「わいは能力劣ってるから頑張っても成果があがらねえ」「ハンディキャップがあるから!」「親ガチャで散々だった(から現状しゃーないんや)」って人達の、「せやかて(工藤)わしらも、思う存分に、バリアがフリーで安心して暮らせる世の中を望んでるんや! (頑張ったり、能力あったり、世襲でウハウハだたりする人の納税力(等)のお世話になって)」って意見も尊重します。みんな違ってみんないい。

 

 なので、ここからは完全に個人的意見です。

 そりゃあ、障害あって奇声あげようが、足腰弱くて車いす生活してようが、眼が見えなかろうが、五体が不満足であろうが、同じように暮らして、あ~健常者に痺れる憧れるぅ! って思わない社会が一番かもしれない。

 

 けど、抜けてる視点があって、そのためのコストって誰が支払うのさ? って問題が一つ。

 酷い言い方だけど、金持ちが金に物を言わせて幸せに暮らすのって、凄く当たり前の話。健常金持ちだって、お手伝いさん雇ったりお抱えの運転手や執事メイドなどなど、健常庶民よりも楽な暮らし出来てて誰も文句言わない。

 で、奴らは結構な額を納税しておる。その税のおかげでなんとかやってけてたり、納税額で有利な状況になってる貧民は多い。感謝しろ。もしくは一人で生きろ。こういう制度でやってきた国じゃないとこ探せ。

 

 余程の金持ちでなんでも自分でやれる人以外、誰かの世話になってる、この視点を忘れるな。ばーか。

 

 2点目。

 障碍者、健常で線引いてるけど、完全に健常なんておらんから。それこそ怪我したら松葉杖生活なんて可能性の権化だし、眼が悪かったり、頭が悪かったり。手帳こそ貰えなくても、みんななにがしかのハンディキャップは背負って生きてる。それが個性だ。

 とあるせっかち病の人は、エスカレーターで立って乗れない。イライラするから。今までは良かった。けど、エスカレーターは歩かない! ってルールが出来た途端に不便、不満を感じる。隣に階段あったら、もちろん階段上るけど、デパートとか駅とか、エスカレーターOnlyの動線が結構ある。

 もちろん、エスカ止まって乗れない”いらち”は、誰も擁護してくれない。それはハンディでもなんでもない。個性の範疇。声を上げるのは我儘だから。

 けど、それって、飲食店で黙ってご飯食べられない、奇声を上げる子と地続きだ。どっかのボーダーで障害あるね、可愛そうだね、になって、どっかのボーダーでこいつは変な奴、我儘、健常だけど変人ってなってる。

 そのボーダーは、強固なものは手帳の有無になるけども、実際は軽度の手帳持ちよりも、重度の手帳無しのほうが生きづらかったりするのがありふれてる。

 まして、手帳の有無抜きにしたら、こいつは可哀そう、こいつは我儘っていう判断基準は人によってバラバラだ。

 手帳を振りかざすな。

 

 能力無くて、お金持ちみたいな暮らしができてない貧民は我慢してる。知能に障害ある人はしゃーないから別途だけど、体に障害ある人って、その分、知能労働の方面で頑張って、ハンディを克服して大金持ちになって、お抱え運転手&リムジンと常時ヘルパー何人っていう生活獲得できなかったのって、努力不足でもありゃしませんか?

 確かに、頑張っても大金持ちになれない人は沢山居て、でもそれって、障害健常関係ないよね。なんなら、ど貧民健常は、中流健常や中流障碍者を羨ましく思いつつも文句も言えずに生きている。

 

 こういうこというと、じゃあ結局強者生存の理論で行くの? ってツッコミあるとは思うけど。頭使って考えたら、どこまでがバリアをフリーにすべきか、できるか。どこから以上は現状の日本の、世界の、科学力なりなんなりのリソースで無理だよね? ってわかると思う。

 ってか、ほんまもんのアホが分からずに声を上げてるか、わかったうえで、(氷河期世代を救うより)障碍者に金使え! ってリソースの取り合いしてるだけ。

 

 今生きている。3食じゃないかもしれないが、栄養失調にならずに飯食えてる。娯楽もある。それで満足しろとはいわないけど、まずそれをありがたがれよ。そのうえで、御国さんはお金もなく厳しい状況だとは存じ上げますが、これこれこうゆうふうに困ってる人が居るのでそちらにリソース割くこともご一考ください、ぐらいの姿勢で言え。

 

 ほんとに。ひとりで大きくなれたと思てるのかなぁ。みんな。

 

  公共交通機関バリアフリーが進むのは良いことだけど、それって結局、わかりやすい、アピールしやすい、要望しやすい等々の要因で優先されただけであって。

あと、子連れのベビーカーとか足腰弱った老人向けとか効果範囲が広いから。

 

 うちも家族に障碍者数人おるけど、みんな不便感じて暮らしてるけど、どうやってアぴったらいいかもわからんし、賛同者も少ないだろうし、その人達向けの対応ってめっちゃピンポイントで――それこそ、飲食店で騒いでもいいように全飲食店に個室作れとか――、社会との折衷案を見つけてなんとか暮らしておるよ。贅沢いわんかったら生きていけるだけで幸せだって考えて(そう思うようにして)

 まあ、最終目標はそういう人らや家族含めて不便感じずに暮らせるのが一番だけどね。けど、普通に貧民健常とかが、不幸せでしか生きれない国で、自分らだけ幸せに、他を犠牲にして、我儘通してやりたいようにやらせてくれってのもなんか違うじゃん?

 

 ※上記文章は、知人から聞いた話を多少脚色したり自分の意見入れながら書いたもので、文責はこのブログ主にありますが、ブログ主の真なる思いとは違う点もございますので、まあ読む人いないでしょうけど、あたしに突っ込まれても困ります。

 

ハードルが高い ってよくよく考えたら

 凄く不思議。

 ことわざとまではいかないけど、慣用句として成立してる。日本語の中で外来語が入ってる慣用句って他にあんまり思いつかない。頑張って探したらいっぱいあると思う。

 オブラートに包むとかも中々いい線行ってる。

 メスを入れる、バトンを渡す、託す(タスキもあるが)。

 エンジンがかかる。も。

 

 オブラートはもうオブラート自体があんまり普及っていうか認知されてない感じなので、この先も残るかどうかは不安だ。オブラートって何? 世代が増えてきそう。

 市場占有率40%の会社が、月6t生産してるという記事は見つけたが、生産というか消費量減ってるのか増えてるのかすぐにはわからなかった。

 

 そういや、学校の体育とかでのリレーってやっぱりやり続けるのかな。

 みんなで手をつないでゴールとかいう教育方針(今はどうだかしらない)とかだと、リレーって一番駄目な競技だと思う。中学高校の部活対抗リレーとかはエンタメとしてなかなか優れたものだけど。クラブ紹介とか、春風高校思い出す。春風高校だっけ?

 

 まあ、かかったら超便利で爆速だったり超効率だったりするけど、昔はかかりづらかったエンジンとか、苦いものを包んで飲みやすくすることに特化したものはオブラートだったり、なんか痒い所に手が届かなかった表現をずばっと解決してくれたアイテムとして導入は自然だと思う。

 けどまあ、この何十年、何百年でできた日本語ってのが面白い。

 

 オブラートは1902年に国産化されて、1922年に大量生産可能になって……だから、言葉として広まったのはそれ以降だろう。ピーク時に100か所以上あった生産所が今は5件って情報はあったけど、効率とか生産量変わってるだろうし、量はわからなかった。

オブラート - Wikipedia

 

  ハードルも、高いと跳べないけど、元々は飛び越えるため(確か倒しても競技上は良かったはず、タイムが落ちるけど)のもので、高さは調節できて……って、障害とかの具現化されたものとしては中々同じニュアンスで語れるものがない。様な気がする。

 壁だと登るとか、飛ぶじゃないし、高さ変わらないし、そもそも飛び超えるものじゃないし。

 何故か、結構陸上競技とかでも注目されてて、世界陸上とかだと結構いい枠で放送されてたりして(←なんとなくのイメージ)、これも、小学校だったか中学校だったかの体育でやってたから、みんな知ってる。

 いつ日本にやってきたか、はちょっと調べただけではわからなかった。

 元々の英単語としても障害という概念的な意味があるっぽい。そちらが先に入ってきた可能性もあったりなかったり。

 で、そもそもハードルが高いは慣用句として認められてなかったり。

 

 慣用句ってそもそもなんだって話で。比喩的な意味で……と考えたら、ハードルが高いはストレートすぎるから、入らないのか。

 確かに。エンジンがかかる時にエンジンはかからないし、バトンを渡すときにバトンはそこにはない。オブラートも。

 ハードルも物理ハードルは存在しないが、元々、単に障害という意味でハードルって使ってたんだったら、比喩でもなんでもない。

 

 慣用句ですらなかった。なのに超絶慣用句っぽい。

 謎が多い。お馬さんの障害走は記録上、1860年には国内でもあったらしい。

 人がやりだしたのも19世紀後半だったりするから、そもそもハードル走自体の歴史が浅い。

 メートルが決まったのも1799年とかだし。近代陸上とか言われてるの、そういうことなのね。なんちゃらヤード競争とかは昔からあったんだろうけど。マラソンとかも。

 そういや近代麻雀って何が近代なんだろうか。本誌を買ったことないような気がする。当時の競合雑誌に前時代的なものがあったんだろうか。

 1972年に漫画誌ではない近代麻雀が創刊らしい。古い。

 

 なんとなく最近ブログ書いてないから、とあてもなく書き始めたけど。

 ブログ書くていう目的なかったら、色々より道が多くてWikipediaのリンクを辿って時間が経つ人になるところだった。

 ネットでなんでも調べられる、なんなら今は音声アシスタントが疑問に答えてくれる、ちょっと未来にはそのアシスタントが疑似人格みたいなの持って”未the来”みたいな世界が来るかもとか思ってたけど、わりとぼんやりとしかわからない、探しにくいことが多いね。ちゃんと保存されて電子化されてたら、業界紙とか、研究書とかになら載ってることも多々あるとは思うけど。わざわざ調べる暇人もまとめる暇人もいないってこと、結構あるんだろうな。特にネットが普及する前のこととか。