ぐらんこ。の部屋(るーるるー♪)

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インディーズ出版の誤字やらアニメの作画崩壊の話

おはこんばんちは、もとい、まいど! おおきに! ぐらんこ。です。

 

さて、先日、自著をエゴサしている時に、ある感想を目にしました。

なんでも、主要キャラの名前を、1ページ目で間違えてたとか。

2ページ以降が全部間違っているのか、1ページ目だけ間違えたのかは作者にしかわからないことですが、1ページ目とそれ以外が異なっているのなら、1ページ目だけが間違えているんでしょうな。

 

そういえば、書きながら途中で名前を変えた記憶があります。修正漏れというか、まあいいやであえてなおさなかったんですが←

 

その感想の前後の呟きを見てみると、売り物でこれは酷いとか、読む気失くすとか(気を取り直して続きは半分くらいまで読んでくださったようですが、そこで投げ出されてしまいました)、はたまた拙作とは比べ物にならないぐらいの売れているラノベでも誤字やらキャラの間違いやらそういうのがあってほんとにどーにかせーよという論調で。

(そもそも、私の作品は80円~99円で売っているものなので、値段相応だと自分では思ってるのですが、GHI出版やらららさあ文庫やらそういう大層な架空出版社を作っているので、インディーズ本だと伝わらなかったかもしれない)

 

いや、インディーズ本だからって誤字はいかん。安かろう悪かろうではKDPや『イン出(いんしゅっ!)と読みます、造語です』全体に悪い影響を及ぼすことになるというご説はもっともで甘んじて受けますが……。

 

作品の面白さってそこじゃないよね? と思ってみたり。

そうじゃない、誤字なんて撲滅すべき! っていう意見も正しいというのは大前提。

だけど……。

 

誤字なんてなくなるわけないよね? っていうのが今回のエントリーの肝です。

ちなみにですが、わたし、魚介が苦手で(特に、肝系とかうにとかかにみそとか、海の風味が強いやつ)、でも歳とともに&いいお店で良いモノを食べているうちに慣れました。ものによっては雲丹とか海栗とか海胆とかはいいやつなら好きです。

脱線からの復帰。

昔は――今もそうかもしれませんが――店で買った小説とかで、『誤字とかあったらお手紙送ってください図書券とかそんなのでお礼します』って最後に書いてましたよね。

大手出版社から出されている本でも誤字はなくならない。作中での矛盾なんかもチェックなんてできない。

長い間売れている本で、読者からの図書券目当ての指摘があって増版を重ねて少しずつ無くなっていくもので。

出版社がやってもそんなレヴェルなんですよね。

そりゃあ、一文字一文字丁寧に読む人からしたら誤字はうっとおしいとは思いますけど。

好きなアニメで大事なシーンで作画が崩壊してたらなんじゃこれ!? ってなると思いますけど。

 

漫画とかでも単行本になるときになおしが入ったり。

小説投稿サイトなんて誤字なんて気にしてたら読めたもんじゃないくらいの作者が居て、自分は創作家でもあるので、脳内で変換したり、意味がわからない文章あったら補完して読んだりしてるんですが。でも面白いから出版されるし、結局出版されても誤字だらけだったり(某ま〇わに限った話ではないですが)

ライトノベルなんか特に、出て来るわ出て来るわの新刊ラッシュで多分そのほとんどが増版なんてされない。

ならば、第一稿に全てを賭けて! 誤字を撲滅じゃー! 汚物は消毒じゃ~! って力を入れようにも。

お金も時間もかかる。

 

いえ、わかるんですよ。

そりゃあ思い入れのある作品で誤字を見つけてしまった時のショックたるや、シーンによっては、その誤字の内容いかんでは雰囲気ぶち壊しになるってことも。

KDPだからインディーズだから、同人誌だから、個人出版だから、お金ないから、時間ないからって作家が甘えて校正さぼって、誤字だらけの本を売りまくってたら、これだからKDPは読めないって人が増えて業界に悪影響を与えかねないことも。

 

でもなあ。なんだか時代が変わって行ってる気はしないでもない。

というか、昔からそうだったはずで。キン肉マンとかあんなの誤字どころか、ジェロニモが技を掛けられているのをジェロニモが見てたり。

男塾でも誰が死んでるか作者すら忘れてたり。

 

最近創作において、『お行儀のよい』っていう言葉を使い始めたりしてるんですが、商業作品ってまあ『お行儀よく』が目指すところだと思います。

・作品に矛盾がない

・ちゃんと伏線張る もちろん回収する

・キャラがブレない

・誤字、脱字なんて存在しない

・きちんとプロット立てて、起承転結でも乙一流プロット法でも三幕構成でもなんでもいいけど、雛形的なのにのっかって書く

 

無理やり並べてみましたが、まあ誤字だけはちょっと浮いてるかなって私も思います。

なきゃないほうがいいものだから。

(ちなみに、私が書いた病弱ロリ魔王なんかだと、地の文がめちゃめちゃなので、変換ミスって誤字になってしまったらなおさずに地の文で突っ込みいれたりと誤字すらネタにしたりしてる酷い小説もあったりします)

 

えっと、お行儀の話に戻りますと。

なんでKDPやってるの? って話。ちょっと爆弾発言です。

 

そりゃあ、ちゃんとした書店で売りたいんだけど、受賞もできねーし。

という人もいるでしょうね。わたしもちょっとは思ってます。

だけど、それって単に力不足でしょ?

受賞するだけの魅力がない。あるいは受賞できるような賞に対する研究が足りない。

 

そういう人がKDPやりまくってインディーズ出版しまくったらそれこそKDPは死にます。

だって、商業作品に比べて面白くない作品が沢山売られてしまうんだから。

 

そうじゃなくって、1万人には届かないけどこれは俺は、わたしは、拙者は面白いと思うから、共感してくれる人に届け! とか、あまりにも斬新過ぎて出版社なんかは見向きもされないけど、次の時代に流行る最先端のテーマなりジャンルなりを作ったからみんな見てね俺の時代が来るだぜ! っ的な。

個人でやるからこそできること。個人でなければできない面白さみたいなところからのアプローチがあってこそ、KDPの未来が拓けるんじゃないかなぁとか思ったり思わなかったり。

 

そうそう、誤字の話ですけど。

ガンダムがね、ホワイトベースから発進するときにバズーカ持っていった。(明らかにビームライフルは持ってない)

そりゃあ、そこでバズーカでの戦いに期待する人は居ないとはいいませんけどね。

その後でバズーカなんてどっかに消え失せて普通にビームライフルで戦ってたりしてね。

それでガンダムの面白さが変わるのか? って話。

 

多少の誤字くらい作品の面白さでカバーできるようなもんを書けばそれでいいんじゃない?

っていう考えは甘えでしょうか?

時間だってお金だって有限だし、そもそも出版社で働いてるかそこから委託されているプロの人間だって誤字なんて取りきれないんだから。

そのうちコンピュータが前後の文脈判断して誤字を撲滅してくれるでしょうよ。

そのうちコンピュータが『お行儀のよい』万人向けの作品ぐらい書けるようになるでしょうよ。

だからね、作家は自分の個性、自分にしかできないこと、あるいは自分が面白いと信じるものや、ちょっと面白くて新しいかもねって思う実験作なりなんなりを書いてけばいいじゃん? って考えはやっぱり甘えなのかなあ。

 

もちろん、売りに出す限りはちゃんと誤字を減らす努力はしますけどね。

それってやりだしたらべらぼうに時間がかかるし、そこって実際そこまで重要なのか? という疑問についてのお話でした。

 

ついでにいうと、作家さん毎にブログだから推敲しないとかそういう決め事もあったりして。ツイッターなんかでたった140以内を呟くのに推敲、校正なんてしてたらつまらなくないですか?

 

ナクしたいでもナクならない。

ナイほうがいいけど、あってもそれ以外でカヴァーができるといいなあ。

 

おわり。(まあ、結構酷いこと書いてるので批判は受け入れますけど、言いたかったのはそこにこだわりすぎるのはどうなの? って感じのあれなのであれしt)